2017年11月3日金曜日

ぼくは明日、昨日のきみとデートする 2016 日本

監督:三木孝浩
出演:福士蒼汰 小松菜奈

愛美の世界に高寿は存在していない。
そして、高寿の世界にも愛美は存在していない。
まずはそこを認識しないと、こ
の話は理解できないかなと。
で、この話は、
5歳の時の愛美が両親に連れられて高寿の世界へ行き、
35歳の高寿に命を救われる、
という事からスタートする。
なぜ35歳の愛美が5歳の高寿を救けたのがスタートではないのかと言えば、
愛美は高寿の世界へ行けるが、
高寿は愛美の世界へ行けないから。





つまり、5歳の愛美が高寿の世界へ行く、
という出来事が起こらなければ、
その後の全ての事は起こらないからで、
つまり、2人が付き合う事も無いし、
35歳の愛美が5歳の高寿を救ける事もない、
という事。

従って、この話は、
愛美側の時間軸だけで考えるとよく理解できる。

5歳の時に高寿の世界へ行って高寿に命を救われた愛美は、
高寿が運命の人だと感じ、
10歳の時にも15歳の時にも高寿の世界へ行って高寿に会っている。

そしてそこで愛美は、
自分と高寿はお互いが20歳の時に付き合う、
という事を知る。

ところが、
2人の世界の時間の進み方は逆方向なので、
高寿の世界の時間が、1、2、3、4、5、6、と進むのであれば、
愛美の世界の時間は、6、5、4、3、2、1、と進むので、
高寿は、出会い→別れ、という普通の時間の流れで愛美と過ごすが、
愛美はその逆の、別れ→出会い、という時間の流れで高寿の世界へ行き、
高寿と過ごさなければならい、
という事になる。

という事で、
論理的な矛盾は無いと思うのだが、
2つほど難癖をつけるとすれば、
絶対に有り得ないとは言えないが、
命を救われたとは言え、
5歳の愛美が35歳の高寿を運命の人だと感じるのは無理があるかな、
という事と、
愛美は「そんなことはない」「それでも楽しいものは楽しい」と言っているが、
やはり愛美は台本通り演技しているだけで、
しかも、それは別れ→出会いという順番であるし、
また、繰り返し(ループ)は無く、
その30日を1回だけ過ごすだけなので、
それで本当に高寿をあれほど好きになるのかどうか、
という事については無理があるように思う。

従って、その2つの無理感を解消するためには、
愛美が10歳で高寿が30歳、
愛美が15歳で高寿が25歳、
その時のエピソードが重要かなと思うのだが、
そこがアッサリし過ぎていたかなと。

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