2023年6月4日日曜日

育成論。時間は有限だが「我慢」して「待つ」という事が基本である。

育成の基本にあるのは「我慢」。もちろん、反社会的な行為に対しても寛容であれ、という事ではない。または、利己的が過ぎる行為に関しても、しっかりと対処すべきだと思う。つまりは、そういう事ではなく、例えばサッカーであるならば、サッカー選手を(として)育てる、という育成に関しては、大人や社会に「我慢」が必要である、という事。大人や社会というのは、どうしても、結果が出ない、出せない、という事に焦りや苛立ちを感じ、高圧的な指導などを行ったり、過剰に評価したり、とにかく「教えよう」としてしまう。

その焦りや苛立ちは指導者側が高い評価を得たいだけの場合もある。

あるいは、スター選手欲しさだったり、自分には見る目があると自己評価を上げるためだったり、情報量を誇るためったり、そのために育成年代の選手を過剰に持ち上げたり、もしくは過剰に下げたり、そういう事もしてしまいがちである。それらはまさに、大人や社会が毒を吹きかけているのと同じ。愛しているがゆえ、応援しているがゆえ、あなたのため、そう言って毒を吹きかける。それらは、パワハラを行う者や自分の利益しか考えていない者や誹謗中傷を行う者が、正当化のために常套句として使う言葉や言い訳、屁理屈である。

「悪口コンテンツ」あるいは「吊し上げコンテンツ」も同じである。

もちろん、前述もしたが、過剰に持ち上げる行為、褒めすぎる行為も育成にはマイナスである。そういうコンテンツも世に溢れている。つまりは、強い関心はあっても、あえて言及しない我慢、結果に対して、あーだこーだと言い過ぎたり一喜一憂しない我慢、必要以上に教えようとしない我慢、そういう我慢が大人や社会には必要で、アドバイスや提言に負の感情を乗せる必要はなく、何よりも重要なのは自主的なモチベーション、思考する能力、向上心であり、それを失わせるような行為は、どのような理屈を付けてもマイナスである。

むしろ大人や社会は、そういう毒から守る側でなければならない。

人が育つには経験が必要である。また技術にしてもフィジカルにしても、そう簡単に向上させられるわけではない。方法論に関しても、そのコツやスイッチを見つけ消化できなければ、やってはいるが上手く行かない、という状態に陥るだけである。その部分に関しては言語化できず、経験と思考する時間が必要であり、それで個々に適した感覚で身に付けるしかない。それが本当の意味での個性でもある。方法を記憶したり教えたりするのは簡単。AでなければBと言うのも簡単。それは必要ないわけではないが、1つの要素でしかない。

コツやスイッチを見つけるまで「待つ」という「我慢」が必要。

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