脚本:大根仁
撮影:阿藤正一 橋本桂二
音楽:小室哲哉
出演:篠原涼子 広瀬すず 小池栄子 ともさかりえ 渡辺直美 池田エライザ 三浦春馬 リリー・フランキー 板谷由夏 山本舞香
『SUNNY』という作品の魅力は、
若かりし頃を懐かしく想う、という部分と、
あの頃の友情をもう一度、という部分。
それはオリジナルの韓国版がそうなので、
当然、それをリメイクした日本版にしても同じ。
ただ、若かりし頃を懐かしく想う、という部分は、
かなりピンポイントな「あの頃」の時代であり、
日本版では、1990年代、もっと言えば1995年頃、
その頃に高校生だった人たち、もっと言えば女子高生だった人たち、
つまり、2018年では、40歳前後の人たち、
その年代の人たちが若かりし頃を懐かしく想う「あの頃」であり、
個人的には、その時代性を強調し過ぎていた事が、
マイナスに作用していたように感じた。
韓国版『SUNNY』も「あの頃」の時代性を強く描いているが、
当然それは韓国の「あの頃」の時代性なので、
それを日本の人たちが懐かしく想うわけはなく、
しかし、ではなぜ韓国版『SUNNY』を絶賛する日本人、
特に中高年の人たちが多くいるのかと言えば、
おそらくそれは、時代性の部分ではなく、
もっと普遍的な要素である、友情、あの頃の友情、若い頃の友情、
そこが心の琴線に触れるからだと思う。
子供の頃、学生の頃、いつも一緒にいた友達、仲間たち。
しかし、いつしか会う事も無くなり、
みんなそれそれの道を歩んで大人になっていく。
しかし、ある事をきっかけに、また当時の仲間たちが集まり、
あの頃の友情はまだ続いていた、という事が、
心の琴線に触れるからだと思う。
つまり、『SUNNY』という作品の魅力は、
若かりし頃を懐かしく想う、という部分と、
あの頃の友情をもう一度、という部分の2つであると冒頭に書いたが、
より重要なのは、若かりし頃を懐かしく想う、という部分ではなく、
あの頃の友情をもう一度、という部分であって、
そちら部分を強調した方が、もっと良い作品になったと思う。
その理由は、1990年代の「あの頃」を強調してしまうと、
当然、1990年代、もっと言えば1995年頃、
その頃に高校生だった人たち、もっと言えば女子高生だった人たち、
つまり、2018年では、40歳前後の人たち、
その人たちにしか届かない作品になってしまうからで、
しかし、あの頃の友情、という事であれば、
時代性は問わず、という事になるから、
もっと多くの人たちに届く作品になったと思う。
もちろん、舞台は1990年代の「あの頃」でも構わない。
その時代の人たちではない人たちでも、
今の40歳前後の人たちの高校生時代はそういう感じだったんだね、
と理解し、それはそれとして、友情物語として消化できるはず。
『三丁目の夕日』のような1950年から60年代を描いた作品でも、
多くの若い人たちにも受け入れられたのだから。
しかしそれは、時代性が云々ではなく、
生きる、という事であったり、
家族とは、あるいは、疑似家族とは、という事であったり、
そういう普遍的な要素を描いているからであって、
人々の繋がりを描いているからであって、
実は『SUNNY』という作品においても、そこが最重要であり、
そちらよりも時代性を強調し過ぎてしまっていた事は、
大きなマイナスだったように感じられた。
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