2023年9月18日月曜日

個性が足りない。伝統が足りない。それが意味するところは?

一昔前は、海外の有名な監督や選手に「日本のサッカーに足りないモノは何か?」と質問すると、多くの場合で、「個性が足りない」、「伝統が足りない」、という言葉が返ってきていた。まず「個性が足りない」に関しては、これを素直に言葉通り(文字通り)受け取るのであれば、特徴が無い、顔が見えない(誰が誰だか判らない)、という意味だと捉えると思うのだが、個人的には、おそらく、この「個性が足りない」の本当の意味するところは、

「個の力が足りない」だったのではないかと思う。

しかし、それをストレートに表現する事は、「能力が低いよね」「下手だよね」と言っているのと同じであり憚(はばか)られたので、個の力を個性と言い換え、「個性が足りない」、と言っていたのではないかと思う。個人的にも、個性というのは個の能力の事であると思っていて、多くの人たちは、特に若者たちは「個性的でありたい、でも、それがどういう事なのか、そのためにはどうすれば良いのか、それがわからない」、と悩むと思うのだが、

「個性=個としての能力」であると考えれば腑に落ちると思う。

もちろん能力には、先天的なモノと後天的なモノがあったり、環境的なモノに大きく依存(左右)されたり、努力、とりわけ個の努力だけでは身に付けられない、育めない、伸ばせない、という性質を有していて、特に環境的な整備、初期設定の良さは重要であると言えるが、その前提としては、やはり「個性=個としての能力」であると考える事で、前述したような問い(悩み)の答えとして、大きな道筋が見えてくるのではないかと思う。つまりは、

「個性的である」という事は「個としての能力が高い」という事。

それでは「伝統が足りない」という事に関してはどうか。おそらく「伝統が足りない」は「戦い方を知らない」という事なのではないかと個人的には思っていて、日本のサッカーに対しては、それを示唆する言葉として、「守備の文化が無い」とか、「フィジカルやインテンシティやデュエルの力が足りない」とか、「走りながら考える力やアイデアを探す力が足りない」とか、そういう事だと思っていて、例えば「守備の文化が無い」というのは、

戦うにおいての駆け引きや状況判断に関する考え方が足りない。

という事だと思うし、「フィジカルやインテンシティやデュエルの力が足りない」というのは、簡単に言えば「タフさが足りない」という事だと思うし、そして「走りながら考える力やアイデアを探す力が足りない」というのは、試合が動いているタイムリーな状況での選手たちの考える力、臨機応変さだったり即興性が足りない、または、それを生み出す元となる戦術的なロジックやセオリーが身に付いていない、という事であると個人的には思う。

あるいは、それらを正しく理解したり活用できていない、という事だと思う。

そして、近年の日本のサッカーが変わり、大きな飛躍にも期待できるような状況になってきているのは、やはり「個の力が大きく伸びた」から、という事が最たる理由であるとは思うのだが、その「個の力が大きく伸びた」理由、要因というのは、やはり、環境的な整備、つまりは初期設定の良さが上がり、そして、前述したような部分の足りなさの克服に取り組んできた、現在も取り組んでいる、その成果なのではないだろうか、と個人的には思う。


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